Monthly Column マンスリーコラム
キャリア支援の火を灯す〜いわてキャリアコンサルタント研究会のはじまり
あの時の想いが、今も私たちの背中を押している
1、「キャリアコンサルタント?なんかカッコいい!」と心が動いた日
私は平成15年(2003年)に雇用能力開発機構のキャリア・コンサルタント養成講座を修了、いわてキャリアコンサルタント研究会の初代の代表を務めた関です。今回は受講当時の時代背景や当研究会の発足時の思い出をお話ししたいと思います。当時の記憶なので名称や数字が異なっていてもご容赦いただければ幸いです。
養成講座受講前年の2002年、厚生労働省が「キャリア・コンサルタント5万人計画」を計画決定。民間資格としての「キャリアコンサルタント」の資格講座や認定試験が始まりました。「官民合同で5万人のキャリアコンサルタントを養成すること」を目標とし、独立行政法人雇用・能力開発機構が養成講座を開催したのが最初だったようです。
当時30代前半の私は、会社で購読していた「労基旬報」という専門紙にキャリアコンサルタントに関するこのような記事があり「へー、そんな資格ができるんだ!」と思いました。
雇用環境が年功序列型から流動化し始めの当時、「キャリアコンサルタント」は「エンプロイアビリティ(雇われうる能力)」を高めるアドバイスができる資格。でも同じ専門的な知識や経験を活かして助言を行う「アドバイザー」という広範囲な全体的なものではなく、「コンサルタント」という特定の問題や課題に焦点を当てた助言を行うアプローチや役割。「キャリアコンサルタント」という職業は『なんかカッコいい!』と思いました。
また、「転職支援のスペシャリスト」としてだけではなく、社員の能力を高め社外でも通用するぐらい優秀に育成するだけではなく、高い忠誠心・ロイヤリティを持って企業の発展に貢献できる社員を育成し評価にも反映。そんな『優秀な社員育成をできる人事制度を企業の内外で作れる人材コンサル凄い!』とも考えました。

2、受講への挑戦、そして上司からの思いがけない応援
翌2003年に雇用・能力開発機構岩手センター(当時)からキャリアコンサルタント養成講座の資料が会社に送られてきていて半年間毎週受講で約6万円という。前年は仙台まで行かないと受講できなかったのが盛岡で開催、お金は自腹で払えなくない額というせっかくのチャンス。
だけど「有休使うと有給残がなくなって欠勤になってしまう…」と上司に悩みを相談すると、「会社で費用も出してあげるから休みも心配しなくて大丈夫」というまさかの回答。とても嬉しかったのを覚えています。
3、1期生として学んだこと、つながった仲間たち
雇用・能力開発機構岩手センターでは、1期生として受講しました。およそ20名が受講し、ほとんどが就職支援に携わる事務局長や社労士などの肩書の受講者の中、一般の民間企業から、しかも自発的に応募した参加者は私一人、また最年少でもありました。
実技でのロールプレイングなどを通しての自己開示、特に「ジョハリの窓(コミュニケーションにおける自己の公開とコミュニケーションの円滑な進め方を考えるために提案された考え方)」を理解していく過程はとても興味深い経験でした。受講を終え、受講中に様々な演習の中で自分の事を理解し、客観的に意見を言い合えるこの人たちと再び会いたいという思いを持ち続けました。
4、「楽しかった時間」を続けたいという願いから
3年後の4期生が終了する前に、機構に相談して拡大OB会として平成18年(2006年)7月「いわてキャリア・コンサルタント研究会」を作りました。(当時のこの用語の正式名称は「キャリア」と「コンサルタント」の間に「・」が入っていましたが、2016年国家資格になった際に「・」が取れ、会もそれにならって名称変更しています)
当初私は1期生から4期生の人たちと連絡を取り合う事務局の役割をしたくて声をかけ始めました。単純に「受講中に感じていた楽しい時間」を「同じ境遇を経験した仲間とこれからもずっと過ごせる環境を作りたい」というのが行動原理でした。

5、思いがけない代表就任
1期生の人たちに声をかけて駅前のホテルの会議室を借り、会の名称およびICCRという略称、コンセプト「生き活きとはたらく・・・お手伝い」、自分たちができる3つの活動領域「企業におけるキャリア支援」「キャリア教育支援」「就労就学支援」、それと2か月に1度の例会の開催など会則の骨子を2時間の限られた時間内でブレインストーミングしながら作りました。これも受講後3年を経た誰もがファシリテーターをこなせる参加者のスキルの高さで結論が出せたものだと当時も今も思います。
代表者については機構の事務局の方とも相談し、1期生のなかの複数の候補者に私はお願いの電話をしてみました。それほど面倒はないことを伝えても、ことごとく断られてしまいました。粘りが足りないのかと思い説得を続けましたが、最後には「だったらあなたがやればいいんじゃないの」と終話。とりあえず、会は発足させたいと思い私が代表者になり1期生から4期生のなかから副代表を始めとする役員案や会則案を提出、総会で受理されました。
6、活動拠点の模索とNPO法人化の決断
「2か月に1回の活動場所をどうするか」。ホテルの会議室を毎回借りると高くつくし、県の公民館は県内各地に散在する会員には交通アクセスがあまり良くない、まさかに懇親会会場の居酒屋は問題外のなか、任意団体設立した少し前の2006年4月にオープンしていた県民情報交流センター「アイーナ」の利用を検討。NPOセンターという性格もあり、団体活動室を使えるのはNPOじゃないと無理、ということでNPO法人設立の協議も開始し、翌平成19年(2007年)7月、当会はNPO法人としての活動のスタートを切ります。
NPO法人格を取得するにあたり、これまでのOB会としての意味合いだけではなく、当時もいた他の養成団体のキャリアコンサルタント有資格者や趣旨に賛同くださる方々にも入会いただき間口を広くすることで、よりキャリアコンサルタントとして切磋琢磨していけるのではないかと考えました。
7、会の中で広がった学びと交流のかたち
会員の人たちについてもっと知りたいと考え、30分から1時間程度の拡大自己紹介を定例会で企画しました。その後のグループ討論でそれぞれの受け止めかたを共有し様々な気づきが得られました。また、自己開示とそれを受け止めたポジティブなストロークを返す定例会内でのコミュニケーションは、とても居心地の良いものでした。これはやはり資格取得者ならではのスキルのなせるワザだなぁとしみじみ感じました。
また時折、キャリアコンサルタントとして自分たち自身がどのようにステップアップしていくか話し合ったり、それぞれが受講した研修内容の情報を共有したりしました。こうした定例会は「キャリアコンサルタント」というフィルターを通して各々が成長していく感じがしました。
8、キャリア教育への第一歩
それぞれ会員自身は、職業訓練、ハローワーク、企業や高校などでの活動の中で何らかの形でキャリア支援活動をしていましたが、会での事業としては特に小中学生を対象とした「キャリア教育」には接点がないような気がしていました。
ある日の新聞記事でツールを使い小中学生にキャリア教育をしているという内容を見かけました。ホームページの下のほうにあるバナーの神奈川のNPO法人「キーパーソン21」が協力した八戸青年会議所の取り組みの新聞記事でした。我々もこのツールを使えばNPO法人としての事業にキャリア教育をしっかりと組み込むことができるのではないかと考えました。
ツールを使うには認定を受けなければならず、また、認定を受けるためには会員から受講料を取る必要があるので公共施設のアイーナは使えませんでした。また、講師の旅費を浮かせようと2日連続での講座のため参加者も限定的でしたが、なんとか大通り裏の貸会議室を借り2日間の受講を終えました。翌年には二戸地域を中心としたキャリア教育の実績が作れたので、参加者は手応えを感じてくれたことと思います。
9、感謝と未来へのバトン
瞬く間にとりあえずの2年間の任期を果たしバタバタと引継ぎました。当時を知る役員で1期生は佐々木さんと藤田さんが残っていて有難いです。後任の馬淵さんには会の設立当初から本当に色々相談に乗っていただきました。事務局を手伝っていただいたオネット企画の小野節子さんには10年以上当会を陰ながら支えていただいていました。
当時は精一杯で、会員内外の皆さんには色々とご迷惑をおかけしたり、フォローしていただいたりと感謝しかありません。この場をお借りして改めて御礼申し上げます。
当会があることで震災後のキャリア支援の事業の受託や、2023年10月には15周年記念事業として現理事長松舘さんを中心としたプロティアンキャリアの田中研之助先生講演会も大成功を収めています。

まだまだ試行錯誤は続くと思いますが、この「いわてキャリアコンサルタント研究会」というプラットフォームがあることで、会員皆さんそれぞれの自己実現につながるような場として活用していただければ、きっかけ作りに携わった者としては嬉しい限りです。
また、より良い会の運営につながる様々な意見をお寄せいただくことで会員以外のかたにも「生き活きとはたらく・・・お手伝い」ができることを祈念しております。

関直文
いわてキャリアコンサルタント研究会 初代理事長
国家資格キャリアコンサルタント
産業カウンセラー